村上涼はニューヨークを拠点に活躍した撮影監督。
写真家、フィルムメーカーとしての一面も持っていた村上は、
1979年7月8日愛媛県で生まれた後、幼少期から高校までの間徳島県と香川県で育つ。
アメリカのアート、文化に興味を持った村上は、18歳でロサンゼルスへと単身渡米。
数年後、ブルックリン大学で映画を学ぶために移ったニューヨークで、
映画撮影に対する情熱を見つける。
大学卒業後すぐにシネマトグラファー(撮影監督)として頭角を表した村上は、
映画やドキュメンタリーから、コマーシャル、ミュージックビデオに至るまで、
あらゆるジャンルにおいて彼独自の美的感覚を撮影で表現した。
彼の撮影監督作品の多くは名高い映画祭での公式上映や数々の賞の受賞を成し遂げた。
撮影監督としての代表作の中には、ニューヨークマラソンの創設者
フレッド・レボーンの一生を描いた『Run for Your Life (2008)』、
70年代のニューヨークで起きたアートと音楽のサブカルチャー、
ノー・ウェーブについての『Blank City (2010)』、アルコホーリクス・
アノニマスの共同創設者についての『Bill W. (2012)』をはじめ、
受賞を果たした数々のドキュメンタリー映画が含まれる。
遺作となった長編映画『Out of My Hand (2015)』
(邦題:リベリアの白い血)はベルリン国際映画祭パノラマ部門で世界初上映され、
Independent Spirit Award ジョン・カサヴェテス賞へのノミネートも果たした。
同作は村上が自ら制作していたファイアストンのゴム農園を追った
ドキュメンタリー作品から着想を得ていた。
Out of My Handのリベリア部分の撮影を終え、ニューヨークの自宅に戻って
間もなく重度のマラリアに見舞われた村上は、34歳の誕生日を目前に控えていた
2013年6月29日、あまりに唐突で早すぎる死を迎えた。
ニューヨークの大手情報誌The Village VoiceはOut of My Handへの批評の中で
「純然たる美しいリベリアシーンを収めた撮影監督の村上涼は同作制作中
マラリアに感染しこの世を去ったが、彼の作品は生き続けるだろう」
という文章をもって村上への敬意を表した。
村上の没後、映画監督であり長年村上と多数の作品を制作してきた
ジャド・アーリックは、未完成のまま残された前述のドキュメンタリー作品を引き継ぎ、
村上が撮影の間に綴った日記を軸に、村上の体験を追憶する短編ドキュメンタリー映画
『Notes from Liberia (2015)』として完成させた。
同作は世界中の映画祭で数々の賞を受賞し、ヨーロッパ各国での放映も果たした。
また、村上が撮影した映像は、米報道機関ProPublicaと米テレビ局PBSの番組FRONTLINEによる制作で、ファイアストンとリベリア内戦の関係性について追った
ドキュメンタリー作品『Firestone and the Warlord (2015)』中で使用されている。
同作は後に2部門のエミー賞を受賞した。
村上が収めた厳重な警備に守られたファイアストンのゴム農園の映像は、
現在でも貴重な記録となっている。
村上の友人や映画仲間達は、才能豊かで、情に厚く、思いやりがあり、
大きな笑顔が印象的な人だったと彼を振り返る。
村上の人間性と力強い創造性は彼の作品の中と、
彼の妻と三人の子供達によって生き続けることだろう。
Periscopeマガジンに掲載された友人、映画関係者からの追悼文
国連大学による追悼文
ABOUT
気仙沼
2011
東日本大震災が起きた1ヶ月後、被災地の気仙沼で国連大学制作のドキュメンタリー「Standing Strong」を撮影中の村上